「現代思想」を戦後史という視点から相対化する本書には、僕自身のスタンスと共通する部分があった。
実は日本の「現代思想」には、外部の視点というものが徹底的に欠けている。
詳しく触れる前に、あまり知られていないであろう本書の概要について、少しガイドしておこうと思う。
本書の構成は以下のようになっている。
序章 戦後思想と現代思想との間に
第一部 日本のポストモダン思潮
第二部 「戦後」と歴史性をめぐって
第三部 東アジアの視点から
序章は「戦後思想と現代思想との間に」と題されているが、実は本書の終章も同じ章題となっている。
本書の副題も「その連続と断絶」となっているので、戦争の反省と強く結びついた「戦後思想」と70年代末以降の「現代思想(ポストモダン思想)」の「連続と断絶」が本書全体のテーマだとわかる。
リベラリズムやマルクス主義に基盤を置く「戦後思想」の後に、左翼反政府運動の季節を挟んで、
バブル経済期に「フランス現代思想」が流行し、そのポストモダンの潮流が「失われた30年」と呼ばれる長期停滞期を支配した。
このように整理したときに、「戦後思想」と「現代思想」の間には「連続」以上に大きな「断絶」があったのは間違いない。
60代以下の「現代思想」論者で、「戦後思想」を真剣に学んだ含蓄のある人物が思いつかないのも、両者の「断絶」を強く意識させる原因だろう。
(どうにも「現代思想」好きには、その外部を切り捨てて「子宮世界」に引きこもるオタクが多いのだ)

本書の第一部では、70年代末から90年代にかけての日本の「現代思想」の流れが、主に歴史性の観点から整理され、その功罪についての考察がなされている。
第二部では、カントの平和論との関連で戦後日本を考えていく。
ここでカントが出てくるのは、柄谷行人のカント的転回とも言うべき
『トランスクリティーク』(2001年)が林の念頭に置かれているからだ。
第三部は柄谷行人の思索の歩みを概観するものだが、重点は『トランスクリティーク』と
『世界史の構造』(2010年)にあるようだ。
指摘しておくが、林少陽はポストモダン思想が出版ジャーナリズムを基盤とした体系性なき脱アカデミズム運動であった点や、
結果として「知のオタク化」を肯定する商業主義的な「ファッション」へと結実したことには触れていない。
本書が扱う「ポストモダン」は主に90年代までであり、ゼロ年代以降は柄谷行人の思想だけを扱っている。
そのため、ゼロ年代以降の「現実からの
切断」による「オタク的内輪化」というポストモダン思想の不毛な結末に向き合わずにすんでいる。
出版ジャーナリズムによる脱アカデミズムという特色を持った「現代思想」を、アカデミックな範囲でしか考察しない態度は、本質から逃走した「ズルい」ものでしかない。
だったら初めから柄谷行人論を書けば良かったのではないか。
林は日本のポストモダンを大きく3期に分けている。
第1期は、70年代末から80年代初めで、柄谷行人や「
ニューアカ」が台頭したフランス現代思想の紹介・導入の時期だ。
林は数々の商業雑誌が「重要な場となった」と書いているが、そのファッション性やジャーナリズムとの癒着については流して終わっている。
第2期は80年代になるが、ここで活躍した論者とされるのが今村仁司、森本和夫、多木浩二、渡邊守章、宇波彰であり、明らかに「小粒感」が禁じえない。
井筒俊彦、中村雄二郎の名前もあるが、彼らを「ポストモダン」に分類するのは正確なのだろうか。
山口昌男はともかく、大江健三郎や前田愛をポストモダンとして紹介しながら、村上春樹や村上龍が無視されているのも意味がわからない。
この時期のポストモダンには、正統派マルクス主義とヘーゲルに対する批判意識がある、と林は言う。
しかし、それは日本のポストモダン現象全体に言える動きであって、特に80年代に区切って指摘することではないのではないか。
さらに林は「この時期のポストモダン思潮に関わるアカデミズムの西洋思想研究は日本の現実とも歴史とも関連があまり見えない」と述べる。
この現実基盤と歴史性の欠如という指摘は「現代思想」の本質的問題点なのだが、林は90年代に「歴史性への回帰」が起こったという立場をとる。
80年代末から90年代前半の第3期には、東大の「現代思想」化などポストモダン思想に「現地的文脈」が備わり、政治性や歴史性が見直されたという整理だ。
そのため林は「九〇年代の日本においてポストモダン思想を歴史と歴史認識の理論として転換させることができた」ことが重要な特徴だ、という信じがたい結論へと至る。
林少陽が日本のアカデミズムや知識人を
過大評価してくれるのは日本人としてありがたいと感じるが、
このような整理では、ゼロ年代以降の東大系ポストモダン売文家の代表である東浩紀や千葉雅也が、本書で取り上げられていないのは当然だと感じる。

90年代の「歴史への回帰」というアカデミズムの局地的現象を、「現代思想」の時代的現象と考えてしまえば、
その延長にマスコミや出版ジャーナリズムが
翼賛した「ポストモダンのオタク化」を接続するなど、できるはずもないからだ。
このような「ご都合主義的な歴史修正」こそがポストモダンの真骨頂であり、林当人がポストモダンの価値観にどっぷり冒されていることがわかる。
このような甘い評価では、林の言う90年代の「歴史への回帰」というものの本質が、
実際にはポストモダンによって進行した歴史の相対化や歴史修正主義の横行に対する「反省なき修正の目論み」だという事実が見逃されてしまう。
要するに、彼らは原因を問題とせず、現象だけを問題としてそれを修正しようとしたのだ。
真実を語る勇気があるならば、そもそも「現代思想」こそが非歴史性と非体系性を旨とするイデオロギーだということを無視してはいけない。
なにしろ「現代思想」が仮想敵としていたヘーゲル思想こそが、歴史的・体系的な哲学の集大成なのだ。
ヘーゲル批判であるポストモダン思想が、単純に「歴史への回帰」などできるわけがないのは明らかだ。
もし本気で歴史性を重視するのであれば、根源的に「現代思想(ポストモダン思想)」を批判するか反省するかしなければならなかったはずだ。
しかし、僕が記憶するかぎり、そんな論者はいなかったし、もしいるならば僕がこのような反ポストモダンのゲリラ活動などをする必要もなかった。
つまり、「歴史への回帰」がポストモダンの文脈の中に収められているかぎり、それは格好だけのインチキでしかないということだ。
むしろ、ポストモダンの潮流こそが歴史修正主義を推し進めた、と考えなければならない。
「現代思想」はあくまで「消費的な知」の拡大に貢献する、現実から遊離した
バブル的なヒット商品でしかなかった。
だから日本の経済衰退がごまかせなくなった2020年代に衰退したのだ。
象徴的な例を一つ取り上げよう。
林は第3期の論者の最初に子安宣邦の荻生徂徠論『「事件」としての徂徠学』(1990年)を挙げている。
たしかに、江戸思想の研究に「フランス現代思想」的な手法を持ち込んでいる人物と言えば子安だが、
その「迎合」を「歴史への回帰」という評価に繋げられるかと言えば、僕の答えはノーにしかならない。
たとえば江戸思想研究において参照されることの多い子安の『鬼神論』(2002年)の副題は、「神と祭祀の
ディスクール」となっていて、もろにフーコー由来の
専門語が用いられている。
子安の『鬼神論』は神的存在となった死者である「鬼神」を、儒家の言説上に住まう存在とする「言説論的転回」によって考察する本となっている。

しかし、子安の言説論的転回も「フランス現代思想」の
言語論的転回もそうなのだが、
現実生活や人間の情念が強く関わるイデオロギーや死者に対する祭祀を、記号的な言語や言説にすべて還元するというポストモダン的な方法論は、所詮は現実から遊離した「認識上の操作」でしかない。
そのため、理論の現実的基盤や現実文脈への接合が問われない「机上の場」においてしか有効ではなく、結局は権威や権力による「現実(本音)の抑え込み」としてしか機能しなかった。
つまり、「現代思想」は本当の意味で「現実」と格闘することはなかったのだ。
これがゼロ年代以降の現実生活や人間理解に乏しい「オタク的坊や」が、ファッション趣味的に「フランス現代思想」を口先だけでイキって振り回す結果に終わった理由だ。
マスコミの権威や権力頼りの「認識上の操作」は「リベラルな建前」としか認識されず、それより上位にある権威や権力が「本音丸出しの国家的イデオロギー」を「叙述する」ようになると、それを解体することには何の役にも立たなかった。
つまるところ、左派的な「フランス現代思想」の言語や言説への過剰偏向が、逆説的に責任を伴う現実から遊離した「保守的言説」に力を持たせることに貢献したのだ。
子安の『鬼神論』にも同様の問題点がある。
これに関しては、すでに吉田真樹による批判がある。
同書(=『鬼神論』)は、篤胤をいわば儒学思想史家として押さえ、その方法論を「フランス現代思想」的にアレンジし、儒者による鬼神論全体を照らし出すことを試みる。(中略)儒学鬼神論とは、そもそも鬼神の実有を問わないままに、言説の次元においてのみ儒学の約束事として行われる思想的な営みである。同書のこの結論は、儀礼・祭祀を伴わなかった日本の儒学思想史については、ある程度妥当する面をもっていよう。しかし、日本の、さらには大陸の全ての儒学思想がそうであるかのように見なすのは早計であるといわざるをえない。
(吉田真樹『平田篤胤──霊魂のゆくえ』)

吉田は「鬼神」を言説上の「約束事」に還元する子安の「フランス現代思想」的な手法は、
「儀礼・祭祀」という現実的な活動を伴わなかった「輸入文化」の中だけの「約束事」としてしか妥当しない、という皮肉を語っている。
吉田の批判は子安に対してだけでなく、日本に流入した「フランス現代思想」全体の問題点でもある。
「フランス現代思想」とは、「輸入文化」を司る「特権的な知」によって、日本の現実をそこから遊離した左派的な「約束事」へと書き換える「
言説」だからだ。
わかりやすく言えば、欧米(=戦勝連合国)に従属・追従し、その先端性を「輸入」することで、日本の現実からメタ的に抜け出せるという集団的幻想を育てたのがポストモダンだった。
その本質は日本の
現実をカッコに入れた「
エポケー的な欧米への追従」にあり、それが国家衰退の危機において右派的な「現実逃避のための〈アメリカ従属原理主義〉」へと
撤退しただけなのだ。
このようなものが「歴史への回帰」と言えるだろうか。
近代化以前の思想まで西洋的方法論に従属させようとする「西洋従属」の欲望とは、現実を言説上の「神の国」へと書き換えるキリスト教的な欲望のパロディとして解釈されるべきものだ。
本場のポストモダン思想には、たしかに西洋近代への反省という「
自己否定」的な面があったが、

バブル期に台頭した日本のポストモダン思想は、その「
自己否定」が日本の脱アジア化と「名誉白人」幻想への欲望──今の自分を否定して「なりたい自分」になろう──を加速するだけに終わった。
(この虚しい欲望が、中国が支配する東アジアへの敵視とアメリカ従属憲法への改悪による「
自己否定」こそが危機的状況に対する突破口だと信じる、愚かな日本人を生み出した元凶なのは言うまでもない)
このような現実に反して、ポストモダンに「歴史への回帰」があったなどという評価ができてしまうのは、
林がポストモダン推進装置だった東京大学という「特権的な知」に籍を置いていたからではないのかと疑う。
そもそも林の言う「歴史性」とは何だろうか。
「広い意味での「歴史」とは、構造主義言語学とポスト構造主義などの思想的理論的洗礼を経たうえでの「歴史」の研究である」と自身で述べているように、
「物語性」を含んだ歴史叙述に関係するポストモダン色の強いものでしかない。

僕は個人的に「歴史」を「叙述」の問題に還元してしまうポストモダン的発想には常々違和感を抱いてきた。
当たり前の話だが、歴史を「どのように語るか」以前に、「歴史的事実」というものが存在するからだ。
この時期に日本文学では国家の歴史叙述を相対化するための「偽史」を書く試みが流行ったが、
そこでは叙述こそが生産装置である、という価値観を背景として、「語り手」の特権ばかりがクローズアップされ、
「歴史的事実」に対する愚直で真摯な「検証」が軽視されることになっていたように感じる。
ゼロ年代のミステリーに「
叙述トリック」を用いたものが目立ったのは、このようなポストモダン的「叙述の特権性」が影響したと僕は思っている。
つまり、「歴史的事実」を置いてけぼりにした歴史叙述への関心などは、「歴史への回帰」でも何でもなく、「叙述の特権性」を強めるポストモダン的現象でしかなかったのだ。
むしろ、この叙述偏重の傾向こそが歴史修正主義に勢いを与えることになった。
本書の後半部を占めるカントと柄谷行人に関する部分は、特に印象に残るものはなかった。
中国近代の「新儒学」はカント思想の影響を色濃く受けているので、
中国の知識人が柄谷の「マルクス主義のカント的転回」に関心を持つのはよくわかるのだが、
僕自身が『トランスクリティーク』をあまり評価していないこともあって、林の論が単なる概説にしか思えなかった。
それでも僕がこのような文章を書いているのは、本書に一つ優れた分析があったからだ。
それは「戦後思想」と「現代思想」の断絶を扱う序章の部分で指摘されている。
林は「日本における中国学の衰退は、ちょうど日本のポストモダン思潮の流行と重なっている」ことを指摘した後に、次のように述べている。
知の欧米化、または欧米理論への過剰な情熱は明治以来における近代的構造であると言えよう。戦後日本の知識人にとって西欧思想は、中身と文脈こそ違え、江戸時代の儒者にとっての「中華」のような理念であったと考えられる。江戸儒者の原理としての「中華」が孔子、孟子、荘子などの先秦思想家によって具現されたとすれば、戦後の文脈においてはカント、ヘーゲル、(特に)マルクス、ウェーバー、ニーチェ、フロイト、ハイデガー、サルトルなどによって戦後の理念が具現化されたといえよう。とりわけポストモダニズム・現代思想にとっての「中華」はドイツ思想よりはフランスのレヴィ=ストロースや、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズなどの名前によって具現されたということになろう。
(林少陽『戦後思想と日本ポストモダン』)
ここで林が書いている「中華」とは、現実の中国とは関係のない「普遍的理念」のことだ。
つまり、日本人にとって「普遍的理念」とはあくまで「輸入文化」でしかないということだ。
明治以前は中国思想を「普遍的理念」として輸入していたが、明治以降は西洋思想を「普遍的理念」として輸入した。
戦中と連続性を持つ「戦後思想」ではドイツ思想を主に輸入し、戦後育ちが中心になる「現代思想」ではフランス現代思想を輸入していった。
このように整理すれば明らかなように、日本では「普遍的理念」はせいぜいパラダイムにしかならず、普遍というより時代的な「流行」でしかないという実態を露見させてしまうのだ。
自らの中に「普遍的理念」を
確立させない「弱い精神(お気持ち主義)」こそが日本の特徴であり、それを補うために「輸入」による強者への癒着を必要としてきた。
林はこのような日本のあり方を「此消彼長」と書いているが、まさに「ここからの逃避」と「彼方への憧れ」こそが狭苦しく窮屈な日本の本質的な欲望なのかもしれない、と思う。
「普遍的理念」の導入が強者への従属にしかならない国、それが日本なのだ。