南井三鷹の竹林独言

汚濁の世など真っ平御免の竹林LIFE

客観的記述という倫理

林逋「小園小梅」の漢詩記事のところで、世捨て人を記録した『後漢書』の「逸民伝」に触れたが、
范曄はんようがそんな雑伝を書いたのには、司馬しばせん『史記』の影響がある。
『史記』にはすでに「游俠伝」(任侠を貫いた人の伝記)「滑稽伝」(巧みな弁舌で主君を諌めた人の伝記)「貨殖伝」(商人として成功した人の伝記)などの風変わりな列伝があったからだ。
范曄が司馬遷のスタイルを引き継いだことから、「逸民伝」が生まれたと言ってもいい。

その司馬遷の歴史意識に、時の皇帝権力さえ相対化できる、より上位の倫理意識があったことはよく知られている。
司馬遷は匈奴に投降した李陵を擁護する発言をして武帝の怒りを買い、宮刑を処されて男性のシンボルを失った。
おそらく獄中で司馬遷は考えたに違いない。
遠い西域で敵に降伏した将軍の真意を、都にいる皇帝がどのくらい理解できるものだろうか。
たとえ皇帝であっても、人間の主観的な判断はある「閉鎖性」の中にあるものだ。
主観による閉鎖的な判断は、歴史というもっと客観的かつオープンな場で相対化される必要がある。
おそらく、このような考えが『史記』の歴史的偉業につながっている。

吉川幸次郎は「常識への反抗──司馬遷の『史記』の立場──」で、司馬遷が『史記』を編纂した態度を二つ挙げている。

① 人間の事実すべてに目を向けること
② 事実と非事実とを峻別し、事実だけ記録すること

司馬遷が任侠や刺客、男色などの列伝を設けたのは、①の態度から来ていると吉川は言う。
伝説を非事実として切り捨てた②の態度も、考えてみれば①の態度に必要なものでしかない。
これをまとめれば、事実であれば何でも記録するオープンな態度ということになるだろうが、
この事実だけに価値を認める司馬遷の態度が、孔子に由来することは間違いない。
「子は怪力乱心を語らず」と『論語」にあるように、孔子は鬼神(この世以外の世界に属するもの)について価値を置かなかった。
つまり、生者たちが身を置いた現実世界を、誰にでも開かれた「共通の言論フィールド」として設定したわけだ。

現実世界において、現実に起こったことを記述したものが事実となる。
事実の記録とは、現実に生きた人々の「共通の言論フィールド」を作り出す行為であり、開かれた共同性の根拠なのだ。
こうして事実を語る歴史が、時の権力をもしのぐ倫理へと昇華されるわけだ。
もちろん、歴史が倫理となるには、それが「私的な語り」であってはならず、あくまで客観的な事実の記述であることが条件となる。

たとえばSNS上の個人発信は、どこまで行っても「私的な語り」でしかない。
多くの人に閲覧が可能であることは事実だが、それが客観的なものでないことは誰でも知っている。
しかし、最近はSNS上の口汚ない悪口や自分の落ち度に対する抗議くらいで、安直に名誉毀損訴訟をする人が増えている。

今の日本の法律では、SNSの個人発信に市場販売を前提とする出版物と同じ客観性を要求している。
これは後づけの辻褄合わせであって、最初からこの基準を適用していたら、そもそもこんな個人メディアは普及していないと思う。
それぞれが個々の「世界線」を生きていて、その個人世界での「自分語り」を投稿しているだけだからだ。
そもそもSNS上の投稿に客観性を持たせる努力義務すらないのに、他人の名前を載せた時にだけたった140文字の表現に客観性を要求し始めるのは意味がわからない。

要するに、日本のSNS訴訟の法的判断は、「共通の言論フィールド」を前提しない投稿に客観性を要求するという点で、儒教の現実主義よりはるかに低レベルの解決しか持っていない。
低レベルの解決とは、単に批判をすべて禁じるというものだ。
自分の「世界線」の中でなら、どれだけ汚い言葉で罵倒してもいいが、
相手の名前を出したら、理由の如何に関わらず評判を落とすことを書いたらアウトになる。
日本の司法(と権力者たち)はインターネットを「共通の言論フィールド」に成熟することのない「地下鉄の落書き」にすることを望んでいる。
(そういえば、ポール・サイモンは60年代に、地下鉄の壁には預言者の言葉が刻まれると歌っていたっけ)
正直、司法のレベルの低さに心底あきれたのだが、
それもこれもデジタルメディアの言論空間について、現代人が利便性と金儲けだけを優先させて、しっかり倫理面での議論をしてこなかったことが影響している。

このように孔子や司馬遷が前提とした「共通の言論フィールド」は、特定の「世界線」に依拠するSNS発信とは社会意識において雲泥の差がある。
(つまり、SNSに依拠している人の「社会性」などたかが知れている)
SNS全盛のポストモダン時代に、歴史意識が希薄になるのは必然なのだ。
反中勢力が歴史教科書を自分たちの「世界線」の押し付けに利用したことを考えれば、この国から儒教倫理を取り除くとどうなるかがわかると思う。



さて、吉川幸次郎に話を戻そう。
吉川は『史記』の列伝の中で最初に置かれているのが、「伯夷列伝」であることに注意を促している。
伯夷とは、古代中国の殷王朝末期に隠者となった孤竹国の公子であり、弟の名を叔斉と言う。
王位継承を譲り合った二人は国を捨てて流浪の身になったが、周の武王の殷討伐に道義的に問題を感じて反対したことから、
周の穀物を食べることを潔しとせず、首陽山に隠棲してワラビやゼンマイを食べていたが、最後には餓死した。
司馬遷がこのような道義の筋を通す隠棲者を、列伝の最初に取り上げたことには明確なメッセージがある。
吉川の言葉によれば、そのメッセージは「歴史家は常識の暴力に屈してはならない」ということになる。
「常識の暴力」という吉川の言葉はわかりにくいが、どうやら正しい個人を挫折に追い込む、時代の常識に縛られた集団的な圧力のことを言っているようだ。
歴史家は「従来の歴史の上から消し去られ軽んじられた人物、常識が正しい評価を与えていない人物、それらを再評価し、発掘しなければならない」と吉川は続ける。

たとえ正しい発言をし、正しい行為をしても、正当に評価されないことがある。
これも動かしようのない事実なのだが、
歴史家は「時代に合わなかった」人たちに対しても、時代や権力を相対化する視点から正しい評価を与えなくてはならないのだ。

日本にこのような権力を相対化する視点が欠けていることは前に話した。
万世一系の天皇制という幻想が、王朝交代も政権交代もない国──権力を相対化できない国──を生み出してしまったからだ。
この国では「時代の権力」の決定でしかないものが、永続化し続けるものとして簡単に受け入れられてしまう土壌がある。
それが一時的処置であったはずの税金が永続化してしまう原因であり、いったん成立した既成事実に対して粛々と誰もが服従してしまう国民性を育んでいる。

この国を変えたいならば、やるべきことは時代や権力の相対化だろう。
そのために必要なことは、権力による判断や周囲の人々の反応を窺うことではない。
自分自身で考えて考えて、考え抜いて客観化した認識に従って、自らの命を燃やすのだ。

北野圭介『情報哲学入門』

ここ数年は、新刊をあまり買っていない。
新書もほとんど買わないし、海外文学はわりと買うが日本の小説は全く読まない。
(日本人の手によるフィクションは漫画しか読んでいない)
例外は歴史研究に関する本で、明確に過去からの積み重ねがあるジャンルだけに信頼がおけるのだが、それ以外の新刊はあまりに「ハズレ」が多い。
新刊を買う場合は、翻訳ものか復刊した日本の本ばかりになっている。

講談社メチエの思想系の本も大概は「ハズレ」で間違いない。
あとがきを見ると大抵は編集者に感謝が述べられているので、岩波書店で「思想」の編集をしていた互盛央が切り盛りしていることがわかるのだが、
ソシュールで博論を書いたポストモダン系の人であるのに、岩波で時流を追いかけた思想本を作れなかった後悔があるのか、
大学デビューよろしく、ポストモダン衰退期になって講談社で流行思想に花を咲かせているようにも見える。

ジェイムソンの等価交換論

現在、アドルノの「文化産業」批判を書くために関連書籍を読んでいるが、
僕の悪い癖で、読んでいるうちに目を通したい本が増えていってしまったりする。
「文化産業」について直接書かれている『啓蒙の弁証法』と『模範像なしに』を、読み終えたところで記事を書こうと思っていたのだが、
なんとなく買ってあったフレドリック・ジェイムソンの『アドルノ』という本を引っ張り出して、読み出してしまった。
これも僕の癖なのだが、こういうときに僕はその本の中で「文化産業」について触れた箇所だけを拾い読みするのが、なんかもったいないと思えてしまう。
最初から最後まで(ざっとでもいいから)読んでいきたいのだ。
ダンジョンの途中でつい面白い魔導書を探して寄り道をするように、
読む途中で思いがけず、面白いことが書いてあるのを見つけたりするからだ。
(仕事や課題を与えられて本を読む人には、こういう楽しみはわからないだろうな)

プロフィール

名前:
南井三鷹
活動:
批評家
関心領域:
文学・思想・メディア論
自己紹介:
     批評を書きます。
     SNS代わりのブログです。

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