汚濁の世など真っ平御免の竹林LIFE
まともな俳句結社では、ちゃんと相互批判をやります。テキスト(俳句)の神性などありません。大正昭和平成の優れた俳人達は、それで育って来ましたし、令和も同じことです。若い初学者が、批判を嫌う傾向がありますが、これを越えないと優れた俳人には成れません。ここに於いて初めて「俳句の門」が開かれるのです。
俳句などの結社では相互批判があるのは結構ですね。
研鑽の場ということがあるのでしょうが、
僕が問題にしているのは、雑誌などのメディアの場です。
内輪という信頼感がない場面では、互いに差し障りのない「忖度」が横行します。
業界で利権を貪ったり、貪りたがっている人は、
外部からの批判をはねのけられないと、自分の「偉さ」に傷がつくと思っている人が少なくありません。
彼らがあやまちをしでかした時に、真摯に謝罪したのを、僕は見たことがありません。
そういう時、この人はただ「偉い」と思われたいだけの凡庸な人なんだな、と感じます。
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