汚濁の世など真っ平御免の竹林LIFE
無知学という学問に希望が持てそうです。明日その主要な研究者の話を聞きに行きます。
どうも、南井三鷹です。
菅原さん、コメントをありがとうございます。
無知学(アグノトロジー)は新潮流というくらいに注目されているのですか。
ちょっと調べてみたのですが、無知学にもいろいろな方向性がありそうですね。
僕の関心を惹いたのは、企業や利害団体が意図的に「無知」を生み出すことを問題とする「戦略的無知」という概念です。
「戦略的無知」を今回の記事と関連させて言えば、
日本の「現代思想」オタクたちは、なぜ日本の出版ジャーナリズムが「現代思想」を取り上げると、
フランスの「68年の思想」ばかりになるのか、ということに「無知」な状態にされていると言えます。
やれドゥルーズが、フーコーが、デリダが、とか語るのは好きなのですが、ではなぜ彼ら「68年の思想」ばかりが日本で「特権化」しているのか、ということを語る人は見かけません。
僕は蓮實重彦を学長にした東京大学の権威の問題と絡めて話すことにしていますが、
これは東大とマスコミによる「戦略的無知」の成果だと考えることができると思います。
こういう事例を考えると、日本人は「無知学」にまるで向いていないと思わざるをえません。
「お気持ち」を「贈与物」として可視化することを好む人たちなので、
「見えないもの=無知」に目を向けるということは難しいでしょう。
ありがちな結末として、海外で行われている「目に見える」無知学のやり方を、日本でも「なぞる」だけに終わることでしょう。
女性が権力機構の中で不可視化されてきた、とかそういう「どこかで見たもの」になるのではないでしょうか。
菅原さんのご意見に冷や水をかけるつもりではなかったのですが、正直な僕の見解です。
心の底では、そうならないことを希望しています。
こんにちは。
フォローいただいております
詩人のやややです。
少し前の記事ですが
コメントさせていただきます。
最近成長欲求と退行欲求という
ワードについてよく考えるのです。
テレフォン人生相談で有名な
加藤諦三先生の本で読んだのですが
誰の心にも退行欲求があり、
それは現状維持、人生及び人格の後退、
幼児期への退行、
極限までいくと母親の子宮に
回帰を望むようになると読んで
なんちゅう恐ろしいことだと
戦慄した覚えがあります。
そして人の使命とは「安心」を与える
退行欲求に打ち勝ち、
「成長」をもたらす成長への促しに
身を任せることだと。
読んでてそりゃそうだろなあと
思ったものです。
大人というのはみな
「子供の頃に戻ろうと甘えるんじゃない!
成長して大人になりなさい!」
と子どもを叱咤するものだと
思っておりました。
…が、現状は…
南井さんのおっしゃる通り
成長より安心を求めて
退行欲求に負ける大人が
ゴロゴロいるんですよね…
むしろ多数派という。
「成長なんて怖いから現状維持だ!
あー子供の頃に帰りたいなー!
何ならおかーちゃんのお腹ン中で
ぐっすり寝てたいなー!
マトモに成長しろなんて正論を言う奴は
無視して迫害してやるウウウゥ!」
劇画的に言えばそういう人達が
多数派というわけですが、
そんな世界もうダメじゃないでしょうか?
(そうだよ)
まあそういう世の中だからこそ
退行欲求に負けずに成長しようとする人が
脚光を浴びるのかも知れませんが…
私も大した力はありませんが
毎日コツコツイエス様の導きに従い
成長しようとはしているので
もしかしたら将来なにかしら
活躍できるかもしれません。
南井さんも退行欲求に断固として抗う
真っ当な大人の一人だと思います。
もしかしたら近い将来
お目にかかって何かしら
協力させていただく機会が
あるかもしれませんので
今のうちに少しずつ親睦を深めさせて
いただきたいと思い
面白く読んだこの記事に
コメントさせていただきました。
といっても
活躍の機会はまだまだ先のようですので、
しばらくは自己研鑽に励みつつ
雌伏の時を送ることになりそうです。
波乱の時代を迎えるでしょうが
どうかお気をつけてお過ごしください。
では、次回の記事を
楽しみにお待ちしております。
どうも、南井三鷹です。
やややさん、更新をサボっているブログへのコメントをありがとうございます。
やややさんがXで掲載している詩は、気取りがなくド直球なところが魅力で、
時々好きなものがあると、挨拶ではなく真剣に「いいね」をしています。
まさに「退行欲求」という点で、僕はサブカル=オタク文化の批判をしてきたのですが、
今や政治までもがサブカル化して「退行欲求」の承認に勤しむようになってしまいました。
YouTubeには、僕が小学生や中学生の時に見ていたアニメが置いてあったりするのですが、
それを見ると、少年主人公が大人になっていく「ビルドゥングスロマン」の形式が踏まえられているものが多いと気づきます。
それに比べると、最近のアニメは(円盤を買う中年がターゲットだからなのか)退行欲求(つまりは子宮回帰の欲望)にとどまらず、
主人公が異世界転生などの登場時にチートな才能やスキルを持っていて、成長過程をすっ飛ばして戦闘で無双するものが溢れています。
『鬼滅の刃』は映画の前までしかアニメで見ていませんが、
一見成長物語が描かれているのですが、肝心なところでDNAの発動らしきもので主人公がチートな強さを発揮します。
現在のサブカルでは、意識的な努力を嘲笑うかのような、システム(DNA)によるチートアドバンテージが「救済」として求められているのです。
もう向上心など無力だと言わんばかりですね。
保守系の政治勢力は大日本帝国ノスタルジーを丸出しにしていますが、
その割にあの時代の「精神主義」みたいなものを復活させることはないんですよね。
「日本人ファースト」みたいなDNA頼りで、「大和魂」というスピリッツ信仰はちっとも真似しない。
僕が考えるに、現代人が「退行」させているのは人間的な「精神」なのではないでしょうか。
(同時に左派リベラル側も権威主義化とシステム依存が進んでいます)
文学ジャンルで名を売りたがっている人たちが、「精神」を磨くことなく、
業界の商業システムでチートアドバンテージを得たがること、そのための「自己宣伝」にばかり熱心なことに僕は絶望したのですが、
やややさんがどういう姿勢で詩を書いているのか、興味がありますね。
直接お会いして聞いてみたいところですが、アンチクリストの僕がご迷惑をおかけしないか少し心配です(笑)
地理的な問題もあると思いますので、そのあたりはDMでお話しすることにしましょう。
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