
今月20日にドナルド・トランプが再びアメリカ大統領に就任する。
昨年末からマスコミでは、2025年はトランプが大統領に再任することで、世界に大きな影響があるかのように語られているが、
鬼が笑うような話になることを承知で言うと、僕はそれほどの影響力を彼が発揮できるとは思っていない。
僕にとって、トランプという人物については「退屈」という感想があるだけだ。
そもそも2度目の就任だ。
マルクスの言葉に照らせば、2度目は「茶番(farce)」として繰り返される。
なにしろ、彼の人間性と能力についてはある程度わかっている。
わかりやすい仮想敵を設定して、品のない態度でそれを「口撃」し、ポピュリズムを煽って支持を獲得し、
自己利益を最大化するためにビジネス的な「
取引」をする能力があるというだけ。
要するに、「アンチ」的な自己愛に支えられた、功利的な政治姿勢しかないことは明白だ。
こんな人物しか選択できないアメリカは、もう完全に落ち目であり、
案外若い世代が「グレートアゲイン」みたいな妄言を信じていたりするようなので、簡単に立ち直ることは期待できそうにない。
「アンチ」は強い仮想敵に挑む「挑戦者」でないと意味を持たない。
だからトランプ支持のピークは「チャンピオン」になる就任式の瞬間で、そこから「挑戦者」ではなくなるために徐々に勢いを失うことだろう。
おそらく中国やイランや不法移民を仮想敵としたポピュリズムを煽り続けるだろうが、言ってしまえばそれしか手がない。
グリーンランドやカナダについても無茶な要求をしているが、それも就任前の無責任状況だから言えるという面が大きい。
実際に大統領になれば言動には責任が伴うので、トランプの「口撃」は社会的もしくは国際的弱者に向けられるほかないだろう。
先が見えてしまうのは、まったく退屈でしかない。
アメリカが落ち目なのは、グローバル資本主義の限界が見えてしまったからだ。
地球温暖化を否認したトランプが大統領になる直前に、カリフォルニアが山火事に見舞われたのは彼に対する皮肉のような出来事だが、
このような金融資本主義に対する「神的暴力」を、トランプが煽動する「アンチ」的ポピュリズムで乗り越えられるわけがない。
実際にトランプの政策は、保護主義政策に代表されるように短期的な利益しか見込めないものばかりで、
アベノミクスと同じように、将来に大きなツケを回す「先のない老人のための政策」でしかない。
要するに、グローバル資本主義は寝たきりの末期患者なのだ。
若い世代の論客などに、年寄りは死んだ方がいい、というような発言が見られたりするが、
それは社会で共に生きる年配者に向かって言うべきものではなく、
アメリカ主導のグローバル資本主義体制という「先のない老人」に向かって言うべき発言だ。
しかし、最近の若い世代は権力と喧嘩をする勇気も度胸もないようで、
トランプに対して同様のことを言う気配がないし、トランプと同じ手法で社会的弱者に向かって「口撃」をするだけの腰抜けが目立つ。
歳ばかり若くても、アメリカが世界の中心だと信じている「先のない老人」と同じ価値観を共有しているのでは、ちっとも若さなど感じられるはずもない。
権力に「人生のお膳立て」をしてもらおうという依存心を捨てて、自分の足で世界を歩いてもらいたいものだ。
「先のない老人」と未来があるはずの若者がなぜか同一化しているのが今の世界だ。
昔は若い世代というだけでオルタナティブへの期待が持てたものだが、もうそういう時代ではない。
個人的実感でしかないが、20代の若い人たちと本音トークをしていても、自分の考えの方が若さに溢れていると感じることは多い。
年齢にかかわらず、人類のすべてが老化したのだ。
その象徴がトランプを指導者に就けたアメリカだと言えよう。
ああ、「晩年の不安と
欲望」が駆動する2025年が幕を開けた。