
英語の「
リベラル liberal」という呼称が、日本の勢力として認知されるようになったのは、いつ頃だろうか。
僕の体感では、1990年代からよく見るようになり、安倍長期政権で保守派が力を強めた時期に定着した気がする。
「保守」に対する反対勢力として、「リベラル」という立場が形成されたのは間違いない。
中公新書を参考にすれば、宇野重規『保守主義とは何か』の出版が2016年なのに対し、
田中拓道『リベラルとは何か』は2020年で、やはり保守に対する後発という感がある。

日本で「リベラル」という政治勢力が登場したのは、わりと最近のことだ。
戦前の共産主義から戦後左翼までは反体制だが、ソ連崩壊後は修正資本主義に後退して非政治的「サヨク」へと至り、その後に「リベラル」に回収されていく流れがある。
要するに、リベラルとは反体制を捨てた元左翼なので、
「左翼」と呼ばれることを嫌う人たちが、リベラルを名乗っていると解釈する人もいる。
実はアメリカでも、共産主義者と呼ばれることを避けるために、リベラルの呼称が用いられたとの疑いが持たれている。
つまり、政治的左派が反体制色を薄めて、体制への適応を進めることで「リベラル」へと至ったわけだ。
冷静に見れば、これは日本の共産主義的な左翼勢力の解体過程でしかない。
政治的左派の脱共産主義化──そこに「リベラル」という
穏健的な呼称の登場がある。
歴史を踏まえるならば、「反体制勢力の弱体化」こそが日本におけるリベラルの登場であることを認識しておかないといけない。
では、リベラルとは反体制ではないのか。
ある程度の常識があれば、「保守」と「リベラル」の対立という図式が、アメリカの政治的構図の模倣でしかないことがわかるはずだ。
アメリカ政治は言わずと知れた二大政党制で、共和党が保守、民主党がリベラル、という位置付けになっている。
これが「投票権」という「政治的自由」に支えられた対立図式であることは、誰にでも理解できるだろう。
日本でもアメリカに倣って二大政党制の実現を目論み、1994年の公職選挙法の改正によって、それまでの中選挙区制から小選挙区制へと移行した。
小選挙区制への移行は、1988年の
リクルート事件をきっかけに金権政治への批判が高まったことが影響しているが、
最近の自民党の裏金問題を見てもわかるとおり、小選挙区制にして金権政治が改善されることはなかったわけで、
そもそもが日本のアメリカ化を進めたい勢力の思惑に左右されたものに思える。
日本の「リベラル」は明らかにアメリカ由来のものなので、選挙による政治参加を前提にした自由主義であり、政治権力の手によって実現を見る「政治的自由」に依拠している。
しかし、実際のリベラルの思想的な裾野はもっと広い。

「積極的自由」と「消極的自由」の二つの自由を提示した
アイザイア・バーリンが参照したことで、
バンジャマン・コンスタンが西洋リベラリズムの思想的父祖の一人として注目されている。
実は僕が用いた「政治的自由」という言葉は、コンスタンによるものだ。
コンスタンは「近代人の自由と古代人の自由」(1819年)という講演で、
自由を社会的領域と個人的領域に分けて、
個人が社会や国家の政治に参加する自由を「政治的自由(古代人の自由)」、国家権力を介入させない私的生活領域における自由を「個人的自由(近代人の自由)」とした。
フランス革命の功罪両面を経験したコンスタンは、この二種類の自由を混同したことが、ジャコバン派の
恐怖政治の原因だったと語る。
古代人の目的は、祖国を同じくするすべての市民のあいだで社会的権力を分有することにありました。彼らはそれを自由と呼んだのです。近代人の目的は私的な快楽のうちに安寧に暮らすことであり、彼らが自由と呼ぶのは制度がこうした快楽に与える保証であります。(コンスタン「近代人の自由と古代人の自由」)

コンスタンがフランス革命を念頭に置いていることでもわかるとおり、
社会的権力を共同体の成員全員で分有する、という「古代人の自由=政治的自由」は、左派的で共産主義的な価値観と言える。
しかし、「祖国を同じくするすべての市民」という言い方に、右派ナショナリズムの匂いを感じ取ることも可能だ。
「古代人の自由=政治的自由」において、左派と右派の違いはわずかに思える。
「古代人の自由=政治的自由」の特徴は、それが「集団的」に成立するということにある。
だからこそ、古代人は個人に完全な服従を求めることになる。
古代人の自由の内容は以下のようなものです。主権全体を構成するさまざまな部分的権能を、集団として、しかし直接的に行使すること、公共的広場で戦争か平和かを討議すること、同盟条約を他国と結ぶこと、法律を採決すること、判決を下すこと、役人たちの報告書や議事録、業務を精査すること、彼らを人民全体の前に召喚することおよび告発すること、そして断罪したり放免したりすること、しかしこれらを自由と名づけると同時に、古代人たちはこの集団的自由と矛盾しないものとして、全体の権威に対する個人の完全なる服従を認めていたのです。(同上)
集団となってイスラエルなどの戦争行為や日米同盟を断罪したり、理解増進法を採決したり、財務省の改竄を告発したりすることなどは、「集団的自由」に属する。
コンスタンが述べたように、「集団的自由」によって「全体の権威」に「個人の完全なる服従」を求める姿勢は、古代人のものでしかない。
日本のポストモダンが果たして近代を経由したものなのか否か、という議論は昔からあるが、
コンスタンの自由に照らせば、自ずと答えが出る。
問題は、アメリカの民主党に由来するリベラルには、
社会自由主義の色が濃いということだ。
社会自由主義とは、個人の自由の促進のために国家や政府の介入を認める立場だ。
自由の実現に国家や政府の力を前提とするので、これは「集団的自由」を強めることにつながる。
そうなるとアメリカのリベラルを「外圧」として
輸入するだけでは、
「古代人の自由=集団的自由」ばかりが強調されることとなり、その基盤にあるはずの「個人的自由」を軽視してしまう結果を招きかねない。
それは「古代的自由がもたらす危険は、社会的権力の分有にばかりこだわる人びとが個人的な権利や快楽を軽視しすぎることにあります」とコンスタンが危惧していたことでもある。

最近の日本のリベラル──とりわけ、SNSを中心とした「意識高い系
Woke」という存在──もその流れの中から発生したもので、
政治的=集団的な正しさが個人の「キャンセル」へと向かう場面を数多く演出してきた。
このポストモダン的な運動の中で無視されているものは、近代人の自由と言われる「個人的自由」ではないのか。
さて、なぜ「保守」と「リベラル」が似てしまうのか、という答えはそろそろ明らかだろう。
国家や共同体の政治的価値によって個人を抑圧する「(日本の)保守」も、
政治力で成立させた自由と多様性の価値によって個人を抑圧する「(日本の)リベラル」も、
巨大な集団的権威に依拠して、個人を服従させる面を持っている。
つまり、どちらの立場も日本の非近代性の現れである「集団主義かつ権威主義(=寄らば大樹の陰)」を克服できず、近代的な「個人的自由」に立脚することができていないのだ。
僕が右派と左派、保守とリベラルの対立において、どちらもノーサンキューだと思うのは、
どちらも「全体の権威」のもとで集団化し、個人の私的自由を軽んじているからだ。
「アメリカのヘゲモニーや文化的価値との同一化」を権威主義という観点から整理すれば、両者は二卵性双生児のようでもある。
「外圧」としての権威を後ろ盾にしないと自分を保てない態度は、「個人の自立」を育てない。
その点で彼らは共通の弱さを隠し持つ、同じ穴のムジナなのだ。

互いに互いを攻撃し合うことで、その裏にある「共通の弱み」が顕在化することを回避するプロレス
興業。
集団からの孤立を恐れる「個の弱さ」を正当化するための興業であり、結局は金儲けなのだ。
今求められるのは、安易に集団的価値観を「居場所」にしない、「個人的自由」を守る態度だろう。