南井三鷹の竹林独言

汚濁の世など真っ平御免の竹林LIFE

アメリカ左派のコピー活動

右と左の政治的対立の図式がいまだに重宝されているが、
日本でこの対立をもとに物事を考えていくと、なにやら居心地の悪さがつきまとう。

まず右派とされる人々だが、彼らは愛国を口にしながら、日本をアメリカの衛星国へと貶める売国政治家を支持している。
とことん自立心がないのに、口だけは「誇り」とか言って恥じらう様子もない。
理性が欠けていないと彼らに共感するのは難しい。

左派とされる人々の問題は、知性が中途半端だということにある。
今回は最も核にある問題点だけを取り上げるが、
リベラルと通称されるアメリカ左派と、伝統的なマルクス主義的な日本左翼が、ろくに区別されずに扱われていても、当人たちがそれを整理しようとしていない。
マルクスを環境思想家にアップデートした斎藤幸平が、アメリカのジェネレーション・レフトにあられもなく共感を示していても、誰も不思議に思わないあたりが中途半端なのだ。

アメリカ左派は、覇権主義反対や労働者の保護や福祉の充実という点では、マルクス主義的左翼と共通するわけだが、
そもそも資本主義体制のオルタナティブをめざすものではない。
アメリカ左派は国家による介入を嫌うが、マルクス主義左翼は国家社会主義を一つのモデルにしていた。
また、アメリカ左派にとって移民受容は大きなテーマだろうが、マルクス主義左翼は歴史的に見て民族主義的な色合いから自由ではなかった。
これだけ異なる両者をひとまとめにしていられるのは、右左の二項対立で物を考える癖がついている人たちが大勢いるからだ。
もっとはっきり言えば、知性に欠けた右派の連中が敵対勢力をひとまとめにしていることが影響しているわけだが、
当の左派や左翼の人たちも、そのような知性に欠けた連中の図式に安住している面がないとは言えない。

もちろん、僕は左派と左翼の間で「内ゲバ」をやれと言っているわけではない。
左派や左翼とされる人たちが、「海外の借り物の価値観」で自分たちの行動を決めていることが問題だと言っているのだ。
いや、「借り物の価値観」を参考にして自分で﹅﹅﹅考え始めるのは良いことなのだが、
「海外の借り物の価値観」をそのままコピー﹅﹅﹅すればいいと思っている主体性の無さが問題なのだ。



たとえばアメリカ左派のコピーとはこういうことだ。
2008年から2009年にイスラエルがガザ空爆と地上侵攻をした後に、ヨーロッパの知識人がイスラエルの文学賞であるエルサレム賞を拒否する空気になった時、
ノーベル賞の足がかりになるからと、エルサレム賞をのこのこ受け取りに行った村上春樹は批判されて然るべきだった。
もらうものをもらって壁と卵の「メタファー」でごまかしのスピーチをした村上を、まるでガザ空爆を批判したかのように宣伝したのが日本のメディアと出版界だった。
村上や日本のマスメディアに、イスラエルのパレスチナ占領や、それを支持するアメリカに対する問題意識が大きくなかったのは明らかだった。
しかし2023年のイスラエルのパレスチナ侵攻の場合、アラブはもちろんヨーロッパ諸国やアメリカにおいてまでイスラエル批判が盛り上がったので、日本のマスメディアでもイスラエルの批判をやたら熱心にやっている。
この変化に当初から僕はシラケているのだが、要するに日本のメディアや出版界は、アメリカや西側諸国の態度をコピーして同じ蛮行でもスルーしたり批判したりするだけなのだ。

だから、世間知らずのおバカちゃんは、アメリカのインテリ学生たちが自分たちの大学のイスラエルとの癒着構造を批判したことをコピーして、
日本の某大学とイスラエル軍を支援したアカデミーとの関係を批判したりしている。
その大学に通っている生徒が活動するならまだわかるのだが、たかがSNS発信やオンライン署名でそうした「社会的活動」に参加している気になっている人たちはどうかと思う。
こういう人たちは例外なく、自分の属しているコミュニティの腐った癒着構造を批判したりはしない。
己の問題と格闘するリベラル左派たちを、自分に害のないところでコピーする「ごっこ遊び」に興じているだけなのだ。
アメリカの学生は逮捕されたりしているのにね。

こんなアメリカ左派の単なる劣化コピーより、マルクス主義左翼の方が社会と戦っていただけマシだったように思う。
暴力を用いることを批判するのは簡単だが、穏健な手段を選んでいるうちにもっと多くの人が死んでいくとすれば、綺麗事を言っている場合でないという事態は存在する。
もちろん、僕はマルクス主義が資本主義批判としてもはや有効だとは思っていない。
労働者の位置にいる人たちが、NISAとやらで少額で株を保有している時代となっては、
彼らは部分的に投資家であり、資本家メンタルに侵されているので、彼らにプロレタリア階級の自覚を促すことはほとんど不可能だからだ。
投資の全体化によって、階級闘争の芽は摘まれたのだ。
(ちなみに斎藤幸平はテレビのニュースに出演して、株高についてコメントを求められた時に、
「僕のパブリックイメージから投資については発言しにくい」というようなことを言っていたが、
自分の主義でも信条でもなく、「パブリックイメージ」を守るために投資に賛成できないだけなのかと驚いたことがある)

ただマルクス主義には資本主義批判の理論的な財産がある。
それを僕は利用しているし、そこには学ぶことがたくさんある。
しかし、アメリカ左派のコピーには「批判活動をやっている感」しかなく、実際には無意味なデブリ発信を増やして、アメリカのSNSプラットフォーマーや通信会社の利益に貢献しているだけでしかない。
だから、左派という括り方をされると「ごっこ遊び」の連中と同じレベルに落とされてしまう危険があり、
本気で資本主義と戦う気がある人は、自分のことを左派やパヨクなどと簡単にカテゴライズさせない努力(要するに安直な集団化を避ける努力)をするべきだと思う。

アメリカ左派をコピーすることの最大のデメリットは、大きく見れば結局は「アメリカとの同一化」を求めた活動でしかないことにある。
アメリカの左派的な面に共感しようと、アメリカと同一化する欲望を持つかぎりは、日本の右派的な保守勢力と似たものでしかなくなる。
つまり、「アメリカとの同一化」こそが右派と左派に共通する「戦後日本」の欲望であり、冷戦終結以来の日本の衰退の原因でもある。
それは大谷翔平がメジャーリーグで名誉アメリカ人として扱われることを望む欲望であり、
自衛隊が対等な立場で米軍の一翼を担うことを願うような欲望なのだ。

まったくアメリカ左派のコピー活動は迷惑千万だ。

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