南井三鷹の竹林独言

汚濁の世など真っ平御免の竹林LIFE

植草一秀 白井聡『沈む日本 4つの大罪』②

前回に引き続き『沈む日本 4つの大罪』の話をする。
書名には「4つの大罪」とあるが、実はその4つの罪が何なのかよくわからない。
「経済」「政治」「外交」「メディア」の4部構成になっているので、
「4つ」はこれらに対応するのかもしれない。
今更だが、題名のセンスとしてはあまり感心しない。

植草の専門は「経済」なので、やはりこの分野での話が濃い。
安倍政権の経済政策「アベノミクス」の弊害が、最近はっきり出てきたところでもあるので、
今こそ冷静な評価ができるはずだが、大手マスメディアではその手の話がなかなか出てこない。
否定的な評価をしないように官邸から圧力があるのかもしれないが、
物足りなく感じていたので、植草のアベノミクスに対する分析は非常に興味深かった。
せっかくなので、ここでその内容について触れておきたい。

まず、植草は労働市場の人手不足について、このように語っている。

植草 「人手不足」と言われることが多いのですが、これは言い方を変えると賃金不足です。需要と供給の関係で言えば、賃金を上げれば労働供給は必ず増える。賃金を適正な水準まで上げれば、必要な人員は確保される。(植草一秀 白井聡『沈む日本 4つの大罪』)

労働者の数が足りていないことは、だいぶ以前から国家レベルの課題だった。
藻谷浩介の『デフレの正体』がヒットし、生産年齢人口(労働人口)の減少が経済停滞の原因と言われ出したのは2010年。
その解決として藻谷は、①高齢富裕層から若者への所得移転、②女性の就労促進と経営参加、③観光客の受け入れ、を示したが、
あれから10年以上が経って、②と③については政府が盛んに旗を振っているが、依然として労働人口は不足している。
労働人口減少は、「2025年問題」と言われる社会保障費の増大や医療・介護の需要拡大にも関係するので、深刻さを増していると言ってもいい。
続く植草の発言を見ていこう。

人手不足と言われている業種は基本的に、大変な仕事なのに賃金が低い業種です。介護サービスも仕事が大変なのに賃金が低い。(中略)
賃金に見合わない過酷な労働を国民が嫌がるから、立場の弱い外国人に押しつけるために労働力を輸入する。まさに奴隷貿易そのものと言えるでしょう。(同上)

植草は過酷な仕事ほど労働価値が高く、市場原理を適用するなら賃金を上げるべき、という主張をしているが、
過酷な仕事であろうが生産性が高くなければ、市場原理の観点から賃金が低くなるのは必然に思える。
だから介護サービスでも、超富裕層だけを相手にしたら賃金は上がるだろう。

低賃金の原因は、グローバル金融資本主義にあるように思える。
詳しく説明する知識がないのだが、現代では労働力も金融取引に吸収されていて、「労働力の金融化」という事態まで起こっている。
低賃金で生活資金が足りなければ、労働の賃金を投資へと差し向けるようシステム化されている。
もう、金銭的に余裕がある人だけが金融にお金を回す時代は終わったのだ。

現実の人間を相手にするより、金融資本を相手にする方が上等な労働だという仕組みや価値観が問題ではないのか。
SNSを見ると、移民排斥や女性蔑視の言葉が平気で垂れ流されているが、
そのような差別は「社会的に構築された認識」から生まれるのではなく、
低賃金の外国人や女性労働者を低い立場(奴隷?)として扱う、グローバル金融資本主義の価値観から生まれていると僕は考える。
金融資本主義の根底には、理念の優越による現実や人間の軽視があり、それを支配体制が支持している。
文学のジャンルでも、現実や人間を軽視した理念的・観念的な作品が増えているが、
これは金融資本主義の価値観に無意識下で支配されている人々がいかに多いかを示している。
このようなマクロ経済的な視点もなく、単に差別反対を唱える運動は、せいぜい「意識高い系」の自己イメージの形成に役立つだけに終わるだろう。
(そういえば、民主党代表選に出馬を表明した枝野幸男が、「人間中心の経済」という理念﹅﹅を掲げていた)



植草はアベノミクスと日銀のインフレ誘導に批判的だ。
「インフレ誘導は、労働者、消費者、生活者、一般市民にとってはデメリットの多い政策です」と述べて、
日銀の量的緩和が短期金融市場への資金供給にとどまった点を問題視する。
日銀が資金供給を増やせば、マネタリーベースは増える。
しかし、その資金が市中経済に出回ってインフレになるためには、市中の銀行が貸し出しを増やしてマネーストックを拡大する必要がある。

ちょっと専門的な話なので、門外漢の僕が乱暴にわかりやすい喩え話を試みてみよう。
親からのお小遣いしか収入がない子供たちに、地元の商店街で今まで以上にお金を使わせようと考えた時に、
親の収入(マネタリーベース)を2倍にし、子供たちのお小遣いを2倍にすることに成功したとしよう。
しかし、その増えたお金を子供たちが貯金したり、株を買ったりすることに使ったら、商店街で使うお金(マネーストック)は増えないので、商品の値段を上げることはできない。
さらに言えば、お小遣いを渡す相手が、子供(ベンチャー企業)ではなく年老いた父母(老舗企業)だったりしたら、
生活にかかる新たな出費が少ないために、お小遣いを増やしたところでタンスにしまい込まれるだけで、商店街で使うお金が増えるとは思えない。

要するに、アベノミクスは供給されるお金の量をいじくることで、日本の景気停滞をどうにかしようとしたわけだが、
全く効果がなかったとは言わないが、抜本的な解決策ではなく、痛み止めによる延命処置くらいでしかなかったのだ。

2022年から2023年にかけて、デフレ状態からようやくインフレに転じたが、
植草によれば、日本のマネーストックM2が9.6%まで増えたのは、コロナに伴う資金繰り融資の激増のせいらしい。
それに加えて、原油価格が上昇したこと、短期金融市場への過剰資金供給による「円キャリートレード」で円が暴落したことがインフレの引き金だと言う。
明らかに経済政策によって誘導されたものではなく、特殊な要因が重なった結果だった。
2%のインフレならまだしも、4%超のインフレというのは国民生活への弊害が大きい。
対応策として政策金利を引き上げる手があるが、それができない。
つまり、日銀には物価をコントロールする能力がない。

植草 そもそもインフレ誘導は、企業の労働コストを下げることを狙って提案されたものでした。1989年にベルリンの壁が崩壊して、東側社会が新しく資本主義経済に組み込まれ、生産拠点化していった。先進国側の製造業が苦境に追い込まれ、人件費=労働コスト削減を迫られることになった。(中略)
先進国の競争力を強化するために、労働コストを引き下げることが必要不可欠になった。それでも、物価下落=デフレの状況下で名目賃金を下げることは容易ではない。しかし、物価上昇=インフレが生じれば、名目賃金の引き上げを見送るだけで、インフレ進行分の実質賃金を下げることが可能になります。このことからインフレ誘導が目指されることになったのです。(同上)

アベノミクスのインフレ誘導の目的が「労働コスト削減」にあった、という植草の見解には正直驚いた。
たしかに物価が上昇しても賃金がそのままであれば、実質的には労働コストを引き下げるのと同じ効果がある。
頷ける見解ではあるが、一国の経済政策がそんなヘボい経営者レベルの発想だというのは、あまりにショボすぎる。
コストカットなど、どんな凡庸な経営者だって考えることではないか。
僕は経済の素人なのでよくわからないのだが、あくまで製造業で人件費の安い国と張り合うことが前提になっているから、そのような発想しか出てこないのではないのか。
つまり、製造業中心の経済を変えられないことが悪いようにも思えるが、植草の話はもっと恐ろしい方向に進む。

植草はインフレによって利益を得るのは債務者だ、と述べる。
借金を多く抱える者こそが、インフレによって得をする。
それならば、最大に利益を得るのは日本一の借金を抱える財務省﹅﹅﹅となる。
どうしてインフレは債務者にとって得なのか。
国に1000兆円の借金があって、それを毎年50兆円の税収で返済したら20年かかるが、
インフレによって物価が10倍になって税収が500兆円になれば、2年で返済が完了する。
なんと、物価が10倍になれば、借金が10分の1に激減するのだ。
なるほど、これなら巨大な借金であっても返済に道がつけられる。

この後、二人の話はアベノミクスから離れて、企業の内部留保に課税する案や、エリート官僚の劣化へと移っていくが、
借金の重みを軽減する目的で、インフレ誘導をしていた可能性には気づかなかった。
巨額の政府債務を削減する手段を考えれば、財政再建や景気回復、財政健全化が通常の道。
追い込まれた時の手段として、税金や預金封鎖で国民から財産を取り上げる方法や、デフォルトが思いつくが、そういえばインフレによる債務削減という手もあった。

植草の分析だけを参考にして、真実に迫れるとは思わないが、
結局、日本最長の長期政権における経済政策が、単なるインフレ誘導でしかなかったとしたら、非常に残念でならない。
過去の経済成功のパターンを捨てられず、メタ次元での金融政策に頼った結果、株価だけが上昇して実体経済が衰弱したというのが僕の理解だが、
自分の人生の大部分が「現実遊離の時代」の中にあった不幸を、振り返らずにはいられなかった。

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