
ここ数年、朱子学の本を読んでいるが、
日本の朱子学受容を考えると、江戸時代の思想を調べる必要が出てくる。
で、最近は朱子学の勉強と並行して、江戸の思想にも手をつけ始めたところだ。
すると、江戸の儒者というのは、だいぶ江戸漢詩の世界を支えていたことがわかった。
岩波文庫の『江戸漢詩選 上』を買ってみたら、
藤原
惺窩、林羅山、伊藤
仁斎、山崎
闇斎、
荻生徂徠など江戸儒学のビッグネームや陽明学の中江
藤樹などが並んでいる。
これは江戸漢詩も読まなければ、と思い、無学を恥じながら読んでいる。
ちなみに江戸儒学は江戸俳句の世界とも関わりが深い。
貞門派の祖である
松永貞徳の息子、松永
尺五は藤原惺窩の弟子で儒学のほか仏教や道教にも通じていた。
松尾芭蕉も宗房時代は貞門派に組み入れられる位置にあり、
芭蕉の漢詩好きを考えれば、江戸儒学との関係は無視できないものだろう。
さて、今回紹介するのは、これまた藤原惺窩の弟子にあたる石川
丈山。
代表作の七言絶句「富士山」は、
Wikipediaにも載っている。
朝鮮通信使に随行していた学士が丈山を「日本の李白・杜甫」と褒めたことで、やたら評判が上がったと『江戸漢詩選』にはある。
その実力はいかに。
富士山
仙客来遊雲外巓 仙客 来り遊ぶ 雲外の巓
神龍栖老洞中淵 神龍 栖み老す 洞中の淵
雪如紈素煙如柄 雪は紈素の如く 煙は柄の如し
白扇倒懸東海天 白扇 倒に懸る 東海の天
雲を貫き出た富士山頂に、仙人が悠々と遊びに来る。
山頂の洞穴の池には、神龍が古代から暮らす。
雪はまるで白い練り絹、煙は握り手のよう。
ああ、富士山とは、大海の天上から逆向きに下げられた白い扇子なのだ。
(漢詩の解釈は『江戸漢詩選』の揖斐高さんのものを参考にしたが、結局は僕の勝手なものになるのでご容赦を)
富士山をまるごと逆さにされた白い扇子にたとえたのは、確かにスケールがでかい。
仙人も出てくるし、杜甫というより李白の色は感じられるかもしれない。
最初の二句はファンタジックだし、対句の構成も見事。
ただ、「如〜」を重ねる第三句は、説明的すぎて惜しまれる。
ちなみに『江戸漢詩選』によると、この漢詩は人々に広く知られたみたいだが、専門家からは批判されたこともあったそうだ。
問題にされたのは結句の「白扇」の語。
本場の漢語では「扇」という語は、円形の団扇を意味し、日本的な末広がりになる折りたたみ式の扇子にはならない。
要は中国人が読んだら、ひっくり返った扇子のイメージは浮かばない、というのだ。
現代にも和製英語というものがあるが、江戸当時にも和製漢語みたいなものがあり、「和習」と呼ばれたりするが、
丈山の扇の見立ても、日本風な解釈である「和習」として批判されたようなのだ。
これに関しては、中国でも明代になると「扇」の解釈が広がっていて、許容できるという意見もある。
荻生徂徠のような中国のルーツを絶対視する立場からすれば、「和習」はできるだけ排除するべきものになるが、
徂徠の原典「純粋化」によって、本居宣長の国学的な
漢意排除が出てきたと僕は考えているので、
ルーツ探求の純粋化は、排外的なナショナリズムに結びつく恐れがあることに注意しておくべきだろう。
しかし、どうにも腑に落ちないのは、第三句にある「煙は柄の如し」の部分だ。
富士山から立ち昇る煙を、握り手である「柄」に見立てたのならば、それは真っ直ぐな棒状のものだろう。
そんなものが折りたたみ式の扇子についているだろうか。

当時の認識はわからないから、僕の邪推にすぎないのかもしれないが、
現代の扇と団扇の部分名称を調べると、「柄」があるのは当然ながら団扇だけになる。
もし、丈山が「白扇」を日本風で思い浮かべていたのならば、煙を「柄」と表現するものだろうか。
丈山自身は、団扇のつもりで表現していたのではないか、という気がしないでもない。
もしそうであれば、「扇」という文字を日本に引きつけて解釈した人の方が、「和習」に囚われていたという皮肉な結果になるが、
まあ、こういうことになるから、ルーツ探求はほどほどにした方がいいのだと思う。