
まだ春を感じ始めた時節だが、井波律子『中国名詩集』より春の終わりを詠んだ漢詩を紹介しよう。
晁冲之という北宋の詩人の作品だ。
宋王朝には北宋(960年〜1127年)と南宋(1127年〜1279年)という区切りがある。
北宋は中国全土を支配地域に置いていたが、女真族が華北部に侵攻して金を建国したことで、
宋王朝は南部だけを支配するにとどまることになった。
それを南宋と呼んでいる。
朱子学などの道学は、北部の異民族に絶えず脅かされていた南宋で発展した。
晁冲之の生没年はよくわからないが、北宋末の詩人であり、一族は名門だ。
蘇軾門下で「蘇門四学士」に数えられた
晁補之は従兄にあたる。
しかし、補之が政争に巻き込まれて左遷されたことが影響したのか、冲之は仕官することはなかった。
おそらく隠者であることを選んだのだろう。
以下の「春日」を読むと、王朝末期の衰退社会を深く憂いていたことが読み取れる。
春日
陰陰渓曲緑交加 陰陰たる渓曲 緑交ごも加わり
小雨翻萍上浅沙 小雨は萍上の浅沙を翻す
鵝鴨不知春去尽 鵝鴨は春の去り尽くすを知らず
争随流水趁桃花 争って流水に随いて桃花を趁う
黒々とした影に覆われた谷川に、木々が点々と緑色を加えている。
小雨は浮き草の上の軽い砂を掻き立てる。
水鳥は春がすっかり終わってしまうことも知らず、
競いながら流れる水に身を任せて、桃の花を追いかけている。
詩の情景は、だいたいこんな感じではないだろうか。
春の日と題されていながら、いきなり「陰陰」という暗い語が頭を抑えている。
深い谷底を流れる川に、ぐずついた空が暗い影と小雨を落としていく俯瞰的な風景は、
まるで王朝の落日を予見しているかのようでもある。
浮き草は水面に浮かぶだけの表層的な存在だが、
さらにその表面に砂が載っていて、それが弱い小雨に打たれただけでちょろちょろとひっくり返る。
この「軽さ=表面性」のミニマムな騒擾の描写は、かえって詩人の巨木のような精神を感じさせる。
浮いた場所で起こる上へ下への騒ぎなどつまらぬことだ、と読者をマクロな視点へと導いていくことで、
心地良い春が過ぎ去っていくことも知らない水鳥たちが、
目の前を流れる桃の花をひたすら争って追いかけていく様が、ある種の風刺として浮かび上がる。
井波律子は「深読み」と断った上で、この詩に「迫りくる滅亡にも気づかず、目先の享楽に酔う徽宗およびその取り巻きに対する風刺」を読み取っているが、
むしろ構成のテクニックからすれば、それは冲之の意図したところだと思う。
僕はこの漢詩を読んで、最近の出版業界にいる人々が自然と思い浮かんた。
雑誌に支えられた出版文化の春の日がすっかり終わろうとしているのに、
出版商売人たちは、利益や名声をもたらす小さな桃花を争って求めている。
そう見えてしまったら、業界に関わる気にはもうなれない。
僕も晁冲之と同じく、生きる時代を選べなかった悲しみの中に身を置いているわけだが、
隠者のまま「今」にコミットできてしまう生ぬるさに溺れて、中途半端なものを書かないよう心を強く磨きたいものだ。