南井三鷹の竹林独言

汚濁の世など真っ平御免の竹林LIFE

見た目は娘 中身はおっさん

前回の『葬送のフリーレン』の記事にコメントを返していたら、
どうやらフリーレンの実像は年金生活者のイメージではないか、と思い当たった。
フリーレンは1000歳以上生きている設定ではあるが、見た目だけなら若い娘。
「中の人」が年寄りで、見た目が若い娘のVtuberのキャラと考えれば、なんか納得できる感じもある。

『葬送のフリーレン』の話

この前、ZOOMで髙鸞石さんに、
アニメ『葬送のフリーレン』っておもしろいの?」と尋ねた。
酔っ払っていたので、明確な答えは覚えていないのだが、
「おもしろいですよ。余計なBGMもない静かな感じが、金曜の夜に癒しになるんですよ」
という感じの返答だったと思う。

「癒し」といえばそんな感じがしないでもない。
盛り上がる魔法バトル場面というのはそう多くはないし、エピソードも『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』みたいに心動かされるというほどのものはない。
全体的に「なんとなく」良くて「微温的」なぬるーい感じなのだ。
これが風呂で半身浴をしているような癒しになる、と感じる人がいるのはわかる、
が、僕はなんか退屈だと思う瞬間が多い。
ただ、アニメなので退屈でも30分くらいなら、「なんとなく」見てしまう。

雑誌の表紙

マンガ雑誌だと、表紙に並ぶのは「作品名」なのに、
文芸誌だと、表紙には「作者名」が並んでいる。

なぜ文芸では作者が偉いのだろう?
なぜ作品は作者に属したものでしかないのだろう?

ポストモダン思想は、人間中心主義批判などと言っていたが、
この「作者中心主義」を批判することはなかった。
テクストという言葉が流行しても、それは変わらなかった。

作者に奉仕する作品

作者に奉仕する作品というものは、総じて退屈だ。

自分が社会やその手の「業界」に評価されるために、作品を作る。
作者に奉仕する作品とは、作者の「社会的地位」を高めるための道具のことだ。
そういう作品は、「どうしたら同時代の人々に評価されるか」ばかり気にしている。
うまくいけば、目論見通り社会で評価され、作者たる自分の地位が獲得できる。
作品がナントカ賞を受賞すれば、立派な「作者」になれるというわけだ。

プロフィール

名前:
南井三鷹
活動:
批評家
関心領域:
文学・思想・メディア論
自己紹介:
     批評を書きます。
     SNS代わりの気軽なブログを目指して、失敗したブログです。

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