南井三鷹の竹林独言

汚濁の世など真っ平御免の竹林LIFE

排外的ナショナリズムと共産主義の不都合な関係

前回の記事で、アングロ・サクソン型金融資本主義が「先人の資産」を価値とするものであり、
同じく「先人」を価値とする排外的ナショナリズムと結びつき、自らに敵対する階級闘争を抑止している、と書いた。
本来なら階級闘争に向かってもいいはずの低所得層の不満が、排外的ナショナリズムに吸収されている、という話だ。
こうして生活に不安を抱える人たちの敵は、富裕層ではなく外国人へとズラされていく。

排外的ナショナリズムの真の敵は階級闘争

政治的に「左翼」と言われる共産主義思想とは、
富の私的所有を共同体による社会的所有へと集約し、貧富の格差を水平化するものだ。
だから、高度経済成長を経て1960〜80年頃に「一億総中流」を実現した戦後日本は、成功した共産主義モデルに分類することができる。
『新しい階級社会』の著者橋本健二の記事によると、格差の拡大は1980年代のバブル期に始まったと分析されている。
この分析は所得の不平等の指標となるジニ係数に基づくもので、この数値が0だと格差無しの完璧な共産主義になるようだが、
それによると、バブル経済による土地価格の高騰などで資産格差が拡大したことがわかるそうだ。

SNS政治プロレスと『薫る花は凛と咲く』

個人的な趣味の話題になるが、今期の夏アニメでは『薫る花は凛と咲く』(現在8話が終了)を見ている。
原作漫画が売れているのは、書店の新刊平積みの雰囲気で知っていたが、
どんな話かは全く知らなかったので、アニメなら無料だから覗いてみようと思ったのだ。
作品が好きというより、流行りに対するリサーチ目的が大きい。

この作品は「マガジンポケット」連載中の三香見サカの漫画が原作なのだが、
底辺男子校「千鳥高校」のコワモテ男子が主人公ということで、いかにも「マガジン」風だなと思っていたら、
キャラの内面の描き方が女性目線で、ストーリー展開も少女漫画を彷彿とさせるので、
おそらく作者は女性だろうと想像している。

宗教化するアイデンティティ政治

現在、2025年7月20日の20時10分を過ぎたところで、参議院選挙の速報番組を見ながらこの記事の一行目を書いている。
どうやら予想通り、与党は大敗、参政党と国民民主党が躍進という結果になりそうだが、
どの党がどれだけ議席を獲得しようが特に興味はない。
僕は妻の投票に付き合って投票所には行ったものの、トイレだけ借りて投票はしなかった。
「現実逃避」の場となった政治不在の選挙に参加する気はない。

政治なき「政治の季節」

日本は今や深刻な景気低迷期にある。
数年前のニュースでは、不況の原因は「コロナ禍」だと言っていたものだが、
さすがにその「ごまかし」も通用しなくなり、円安による物価高が直撃した今、経済停滞が国の構造的問題だということが誰の目にも明らかになっている。
そのため、「政治をどうにかしないといけない」という危機感が高まり、「政治の季節」が再到来するような機運がある。
しかし、人々の関心は本当に政治﹅﹅にあるのだろうか。

音声に脅かされる人々

先日、夜のテレビニュースをつけたら「電話恐怖症」が話題になっていた。
オフィスで電話対応をする時など、主に公的な場で見られるようだが、
程度の問題はあるにしても、電話をすることに不安や恐怖を感じること自体は、わりと普通の感性なのではないか。
若い世代ほど電話に対する苦手意識が高い、というアンケートも紹介されていたが、
これも年配者が電話応対の経験──「訓練」──を積んでいるために、苦手意識を持たなくなった結果と考えられる。
つまり、誰だって時に電話は怖いものであるし、「訓練」の賜物でそう感じなくなるだけのことに思えるのだ。

その意味で、「電話が怖い」という感覚自体は理解できるものの、それを「電話恐怖症」という言葉で表現したり、それをマスコミが広めていくことには違和感しかない。
そのニュースとしては、「苦しんでいる人」=「弱者」に寄り添っているつもりなのだろうが、
しかし、本当にその人が「弱者」と言えるのか冷静に判断する必要がある。
たしかに「電話恐怖症」の原因となるカスタマーハラスメント同然の迷惑電話を社会問題化することには価値があると思うが、
電話が怖いという心理﹅﹅だけ﹅﹅を過剰に正当なものとして扱うことには、大いに問題があると言わざるをえない。

「スラップ訴訟」について考える

どれだけ久々だろう、何年ぶりかに「現代思想」という雑誌を購入した。
僕がこの雑誌をつい買ってしまったのは、2025年5月号「特集「表現の自由」を考える」に「スラップ訴訟」を取り上げた論考があったからだ。

個人的なことになるが、僕は去る2023年に俳人の西川火尖から名誉毀損訴訟を起こされた。
そもそもSNS訴訟などくだらないので、いまさら詳しい事実を書こうとは思わないが、
目を疑ったのは、発信者情報の開示請求の書類に、西川が自分の悪事を隠蔽するデタラメの経緯を書いてきたことだった。
要は「でっちあげ」だったのだが、嘘を書いたのはどういう理由なのかと示談交渉時に質問したところ、相手弁護士は返事もよこさずに裁判の訴状を送ってきた。
(この弁護士──おそらく情報開示専門の「パカ弁」──は訴状に僕の名前を書き間違えて、裁判官に叱責された驚愕のナマクラだった)

「排除の政治」と老化する世界

グローバル資本主義が行き詰まった今の世界状況で、その処方箋であるかのように台頭しているのが、
競合する敵を力で取り除くことを解決と考える「排除の思考」だ。
あらゆる境界を「横断」して、遊牧民のように流動すること(ノマディズム)に価値を持たせるフランス現代思想は、移民肯定の思想としてグローバル資本主義(=アメリカ型消費資本主義)を支えてきた。
しかし、ゼロ年代以降に日本の「現代思想(ポストモダン思想)」が、思想や哲学としての実質を失い、インターネットやマスメディアに依存した商売に成り下がると、
その担い手たちもフィルターバブル的な同質性を前提とするようになり、異質なものの「排除」へと向かっていった。
(その典型が、東大系フランス現代思想研究者たちのマルクス・ガブリエルに対する醜悪なネガティブ・キャンペーンだった)

オタクと保守の共鳴メカニズム

現在、「ガンダム」の新作映画が公開されているらしい。
これから始まるテレビ放送に先行した宣伝映画であることは、SNSに流れてくる情報でいつの間にか知っていた。
僕は富野由悠季監督作品以外のガンダムシリーズに興味がないので、「水星の魔女」と同じように無視するつもりなのだが、
その「ジークアクス」という新作に庵野秀明が関わっていると知って、一言書かずにいられなくなった。

自分が見たくないものを信じる

Men willingly believe what they wish.

「人は喜んで自分の望むものを信じる」という古代ローマのユリウス・カエサルの言葉は、「人は見たいものしか見ない」という「確証バイアス」の説明に用いられたりする。
「確証バイアス」という言葉は認知心理学の用語らしいが、実を言うと僕は心理学というものをかなり信用していない。
心理学は当たり前の現象にもっともらしい名前を与えてカテゴライズに勤しんでいることが多く、
それが心理学を正当化する「確証バイアス」を産んでいるという皮肉がある。
一応説明すれば、「確証バイアス」とは、自分が考えていることを「正しい」と思いたいあまりに、
それを肯定する自己都合の情報ばかりに注目して、偏った「思い込み」を絶対化する心理のことのようだ。

プロフィール

名前:
南井三鷹
活動:
批評家
関心領域:
文学・思想・メディア論
自己紹介:
     批評を書きます。
     SNS代わりの気軽なブログを目指して、失敗したブログです。

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