南井三鷹の竹林独言

汚濁の世など真っ平御免の竹林LIFE

アメリカ覇権の終わり

花粉症がきついこともあって、時事問題について書く虚しさに勝てずにいたが、
アメリカとイスラエルが本格的にイラン攻撃に踏み切ったことについて、嫌々ながら書き残しておこうと思う。

多くの識者が最近のアメリカの軍事行動について語っているのを目にしたが、
どれも問題の核心に触れていないという印象を持った。
本気でわかっていないのか、言いたくないのかわからないが、
僕が恐れずに問題の核心を口にするならば、次のようになる。
覇権国アメリカによるグローバル資本主義の世界支配が終わりを迎えている。
資本主義万能の時代が本格的に終わろうとしているのだ。
つまり、今は世界的なパラダイム移行期にある。
その変化に抵抗して「栄光の過去」を追い求める老害じみた人々の心理によって、世界情勢が混沌に落とし込まれているのだ。

「他人任せ」の末路

竹林は静かだ。
慰霊碑代わりの映画のエンドロールが延々と流れているかのようだ。
この記事の前に書いた原稿は、すべて「虚しさ」からボツにした。
帰宅後にはテレビの報道番組を全く見なくなった。
SNSの情報やネットニュースが時折、車窓の風景のように流れ去っていく。

今回の選挙は民主的とは到底言えないものだった。
結果を操ろうとする力が暗躍していた。
前々から指摘しているように、トランプ政権が意図的に政局に介入した可能性が高い。
ナメたことに「勝利の要因は私だと高市に言われた」とトランプ自身が自慢げに語っている
不正選挙を疑う声があるのは当然だろう。

こんなもんだよ日本人

今は2月8日20時、選挙速報を見ながら原稿を書いているが、どの速報番組でも自民党の大勝利という予測が出ている。
これが現実ということだろう。
事前のマスコミ調査とそう変わらない結果が出ていて、前回の大ハズレからするとデキすぎにも思えるが、
あまりに日本人が「チョロすぎる」ことに驚きがないと言えば嘘になる。
どうやら憲法改正に反対する勢力が落選していく「左翼狩り」という流れで、海の彼方にいるトランプのほくそ笑みが目に浮かぶようだ。
おそらく小選挙区にありがちの偏向によって、実際の自民党支持の割合よりも、自民党が多く議席を獲得しているとは思うが、
官邸独裁と憲法改正を推し進める結果を導く選挙になってしまったこと、それをマスコミがただ後押ししてしまったことが残念でならない。

林古度「金陵冬夜」

もし自分の国が滅びた後も生きながらえてしまったら、どう生きていったらいいのだろうか。
大抵は目の前にある二つの未来の前で、思い悩むことになる。
もう国が滅びてしまったのだから、気持ちを切り替えて新しい支配者のもとで働くか、
新しい国に参加することを拒否して、忠節を曲げずに世捨て人になるかだ。

万世一系と称して抜本的な王朝交代を否定し続けている日本に比べて、中国は明確な王朝交代を何度も経験してきた。
しかし、王朝が交代しても統治機構を支える人材は必要であり、敗者たる官僚たちが引き続き新しい王朝で働くことは珍しくなかっただろう。
敵に屈することにどの程度の葛藤があったのかは計り知れないが、強い葛藤と悩ましさを引き起こす状況が容易に想像できるケースもある。
異民族が支配する王朝が誕生した時だ。

なぜ政治は「私物化」されたのか

アングロ・サクソンの世界支配が揺らぐ現在、アメリカと日本で政治の「私物化」が急速に広がっている。
大統領に再選されたトランプが、覇権国アメリカを復活させるために選んだ政治手法は「力の政治」だった。
その内容はもはや「政治」とは程遠い、軍事的優位性をちらつかせた「脅しディール」や兵隊を使った反対派の弾圧でしかなくなっている。
畢竟ひっきょう、トランプには決定的に政治能力が欠如していたと評価するほかないが、政治力のない政治家が国のトップに立つという現象は、普通に考えればかなり奇妙なことだ。
その原因を推察するに、「有権者たる国民に強い政治嫌悪があるから」という結論にどうしても至り着く。
政治が嫌われたために政治家が嫌われ、政治家が嫌われたために、政治オンチのタレント的ポピュリストが台頭し、政治力のないトップが権力を振りかざして横暴を行う──、
アメリカがそんなヤクザまがいの政治(=非政治)をしているために、世界的に民主主義の価値が驚くほど低下している。

最先端と流行

資本主義にコントロールされた消費文化では、「最先端と流行」によって「今」が形作られる。
誰もが最新の流行を気にして、「今」を探っている。
だから年末になると、マスメディアを中心に今年がどんな年であったかを総括したがる。
その典型が「今年の漢字」という企画で、年末になると今年を象徴する漢字一字を募集して、一番多かったのを清水寺の坊主による書で仰々しく発表している。
(俗世間の「今」の形象化が仏教と何の関係があるのか?)
政治利用が目立つ「新語・流行語大賞」の趣旨も、同様の「最先端と流行」にあるように見えるが、
これらは「今」という「共有された同じ時間(共時)」を生きていることを確認したい欲望によって持続している。
つまり、人々の共同性を同時性によって確認するための行事だと言っていい。

タイムループ化するポストモダン

「まだ東浩紀を読んでいるのか」
この前、思わずそう口にしそうになったという話。

僕の職場に30過ぎの〈フランス現代思想〉好きのイケメンくん(大学院にいたという噂を聞いた)がいる。
彼が僕の向かいで熱心に本を読んでいたので、また現代思想系の新刊本かと目をやると、
開いた本のカバー上部で、東浩紀の新刊『平和と愚かさ』(2025年)だと想像がついてしまった。
ああ、現代思想オタクはまだ同じところにいるのか、と納得と絶句が同時に襲ってきた。

臆病者の全体主義

新年早々におめでたくない記事で幕開けをすることになるのは気がひけるが、それこそが2026年にふさわしいということになりそうな予感がする。
今年の世相が明るくなるということは考えにくい。
愚民政策の比喩である「パンとサーカス」で言えば、「パン」の配給では国家財政が苦しくなるばかりなので、 2月の冬季オリンピック、3月のWBC、6月のサッカーのワールドカップという世界的「サーカス」で民衆の不満をやり過ごすことになる。
腐った「オールドメディア」はスポーツ中継と自然災害でしか存在価値が示せないので、これまで以上にオリンピックやWBC、ワールドカップで大騒ぎするだろうが、
残念ながらスポーツ国籍コロンビア人の僕には、薄っぺらいスポーツナショナリズムなど「ちっとも効かない麻酔薬」にしかならない。

「国防」争点の選挙をすればいいじゃないか

前々から日本が本当に民主主義国家なのか疑問に思ってきたが、最近は政権そのものが民主主義を尊重していないと感じる。
というのも、高市政権が安倍の「官邸独裁」やトランプの「国政の私物化」を真似して、「民意なき政治」を行おうとしているからだ。
それなのにNHKをはじめ大手マスコミは政権批判には及び腰でしかなく、
高市内閣が選挙による国民の信任を受けていない「党内クーデター内閣」であることを隠すために、
高すぎる内閣支持率で「民意」の穴埋めをして、民主主義の形骸化に協力している。

統計を使いこなせない国

前々から思っているのだが、マスコミが実施する「内閣支持率」調査の数値を、いかにも「民意」であるかのように受け取ることには問題がある。
世論調査は民意を推測することに役立つだろうが、それはあくまで調査結果が実態を正確に示している場合に限る。
アンケートは質問の仕方や用意された選択肢によって結果が大きく左右されるし、また状況によっては本心で回答してもらえないこともある。
だから支持率調査の結果を過信するべきではないし、ときに「偽の民意」を作り出す道具にもなりうることを理解しておかないといけない。

プロフィール

名前:
南井三鷹
活動:
批評家
関心領域:
文学・思想・メディア論
自己紹介:
     批評を書きます。
     SNS代わりの気軽なブログを目指して、失敗したブログです。

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