南井三鷹の竹林独言

汚濁の世など真っ平御免の竹林LIFE

トランプという「退屈」

今月20日にドナルド・トランプが再びアメリカ大統領に就任する。
昨年末からマスコミでは、2025年はトランプが大統領に再任することで、世界に大きな影響があるかのように語られているが、
鬼が笑うような話になることを承知で言うと、僕はそれほどの影響力を彼が発揮できるとは思っていない。
僕にとって、トランプという人物については「退屈」という感想があるだけだ。

昨今の「政治化」現象について

近年、日本の経済衰退が誰の目にも明らかになっている。
80年代以降に確立した消費資本主義では、個人単位の欲望充足を燃料にして経済活動を加速させた。
90年代後半以降のインターネットの爆発的普及によって、送受信メディアが端末化して完全に個人所有される事態になり、企業の消費促進のアプローチも個人端末スマートフォンをめがけてなされるようになった。
もはや「個人」とは内的葛藤や差異で形成されるものではない。
資本主義の動力となる消費者の単位でしかなくなったのだ。
YouTubeやSNSなど個人端末によるインターネット発信も一般化したため、
消費の単位と社会的発信の単位が一体化し、人々は消費をするように発信し、発信をするように消費するようになった。

選挙を支配する「被害の物語」

11月の兵庫県知事選挙の結果が全国的な話題になっている。
パワハラ疑惑が浮上し、議会の不信任決議で退職した斎藤元彦知事が、
その後任を決める知事選挙に再び出馬し、当選を果たしたのだ。
民意は議会の決定に反して斎藤を支持したわけだが、「斎藤は利権勢力にハメられた」という陰謀論を語るSNSやネットのインフルエンサーが、選挙結果に影響を及ぼす事態になった、と大手マスコミは総括している。

斎藤が「ハメられた」のが真実かどうかはわからないが、
今の日本の選挙システムで、知事選に当選する人に別の利権勢力がついていないとは考えにくい。
結局は利権と利権の争いなので、「利権と戦うヒーロー」という斎藤像はフィクションだろう。
では、なぜそんな架空の「物語」が現実的な力となったのだろうか。
それは「利権と戦う中で倒れた誠実な人」というエンタメ作品にしか存在しないような人物を、消費文化に慣れきった大衆たちが現実化しようとしたからではないか。

政治と封建的イデオロギー

衆議院選挙の投票日が夜逃げでもするかのようにあっという間に決まり、
人々の心の準備ができないうちに選挙が終わりそうな感じだが、僕はその結果に興味はない。
それより政治に対する違和感が強くのしかかるばかりだ。
その違和感とは、日本が経済先進国でありながら、経済合理性のない封建的イデオロギーを守り続けていることにある。
いつまで日本人は「世襲」などの封建的価値観を社会の柱にする気なのだろうか。

人類の落日

近頃の世界の状況を見ていると、人類の地上支配もピークを過ぎたと感じる。
自分自身が老境に近づいているからそう思えるのかもしれないが、
おそらく若い人であっても未来が暗いと感じる人は少なくないだろう。
あえて目につく原因を挙げれば、大量消費による社会劣化、気候変動による自然災害、地域紛争の拡大になるわけだが、
見通しが暗く思えるのは、それらの問題を本気で解決しようという意欲が、我々人類に見られないことにある。

なぜ「リベラル」と「保守」は似てしまうのか

英語の「リベラル liberal」という呼称が、日本の勢力として認知されるようになったのは、いつ頃だろうか。
僕の体感では、1990年代からよく見るようになり、安倍長期政権で保守派が力を強めた時期に定着した気がする。
「保守」に対する反対勢力として、「リベラル」という立場が形成されたのは間違いない。
中公新書を参考にすれば、宇野重規『保守主義とは何か』の出版が2016年なのに対し、
田中拓道『リベラルとは何か』は2020年で、やはり保守に対する後発という感がある。

植草一秀 白井聡『沈む日本 4つの大罪』②

前回に引き続き『沈む日本 4つの大罪』の話をする。
書名には「4つの大罪」とあるが、実はその4つの罪が何なのかよくわからない。
「経済」「政治」「外交」「メディア」の4部構成になっているので、
「4つ」はこれらに対応するのかもしれない。
今更だが、題名のセンスとしてはあまり感心しない。

植草の専門は「経済」なので、やはりこの分野での話が濃い。
安倍政権の経済政策「アベノミクス」の弊害が、最近はっきり出てきたところでもあるので、
今こそ冷静な評価ができるはずだが、大手マスメディアではその手の話がなかなか出てこない。
否定的な評価をしないように官邸から圧力があるのかもしれないが、
物足りなく感じていたので、植草のアベノミクスに対する分析は非常に興味深かった。
せっかくなので、ここでその内容について触れておきたい。

植草一秀 白井聡『沈む日本 4つの大罪』①

本屋に行くと、ハウツー本やノウハウ本、自己啓発書やナントカ入門書の群れが必ず目に入る。
これらのジャンルにニーズがあるのはわかるが、この先の売れ行きはどうなるのだろうか。
というのは、ハウツー系はYouTubeが得意とする分野に思えるからだ。

そのせいなのか、YouTubeやネットで活躍する人に、出版社がハウツー本や入門書を書かせる「悪手」も目立つ。
勢いのあるライバル産業と戦うより、寄りかかって頼ろうとする発想は、いかにも日本的な平和﹅﹅主義﹅﹅だ。
トップダウンの権威的命令には服従するが、ボトムからのゲリラ抵抗戦を嫌う人たちにとって、
混迷の時代を乗り切るノウハウも、海外や新興勢力から与えられるものだと信じているのだろう。
本当は、そのメンタルこそが「啓発」されるべきものなのだが。

西山松之助『芸』

明治維新以後を日本の「近代」として、江戸と明治で歴史を二分する考え方には、大きな落とし穴がある。
僕がそれを認識したのは、ようやく最近になってからだ。
日本人の多くは、近代化した明治以後と土着的な江戸以前とを分けて考える。
実際、学校教育では、江戸以前のものは「古典」に分類され、明治以後が「現代文」とされてきた。
江戸と明治の間で「認識論的切断」を行なっていると言ってもいいが、
それは確実に間違っている。
日本独特の問題を考えた時に、その原因が江戸時代に確立したシステムにある場合が案外多いからだ。
西山松之助の『芸』を読むと、そのことが確認できる。
江戸時代の「芸道」の姿は、現代の日本社会にも引き継がれている。

アメリカ左派のコピー活動

右と左の政治的対立の図式がいまだに重宝されているが、
日本でこの対立をもとに物事を考えていくと、なにやら居心地の悪さがつきまとう。

まず右派とされる人々だが、彼らは愛国を口にしながら、日本をアメリカの衛星国へと貶める売国政治家を支持している。
とことん自立心がないのに、口だけは「誇り」とか言って恥じらう様子もない。
理性が欠けていないと彼らに共感するのは難しい。

プロフィール

名前:
南井三鷹
活動:
批評家
関心領域:
文学・思想・メディア論
自己紹介:
     批評を書きます。
     SNS代わりの気軽なブログを目指して、失敗したブログです。

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