南井三鷹の竹林独言

汚濁の世など真っ平御免の竹林LIFE

林逋「山園小梅」

佐藤保『詳講 漢詩入門』では、中国詩の重要なテーマとして「隠棲」が挙げられている。
中国には科挙という官吏登用試験があったが、
それを突破するには、漢詩を作る能力が必須だった。
つまり、文学は政治参加への直接的な手段になっていた。
(戦後日本でもある時期の東大の入試問題には、決まって漢詩が出題されていた)
簡単に言えば、社会的地位を得るために、詩の能力が評価基準になっていた。

詩の能力が出世を保証するようになると、おもしろい逆説が成立するようになる。
優秀な詩を書ける人であれば、たとえ出世しなくてもそれだけの能力がある人だと証明されるのだ。
それならば、官職を得て出世することがなかった人でも、素晴らしい詩さえ残せれば、自分の実務能力を示すことが可能になる。
だから、時の体制に背を向けて隠者となっても、卓越した詩を残すことでその能力を証明することができた。
中国の詩が「隠棲」する人たちの支えになれたのは、そのような力学のためだと僕は思っている。

内輪性と党派性ばかりの日本の商業文学空間

現在の日本の文学空間は、文芸雑誌の出版社によって支配されている。
そのため、文芸の創作者は驚くほどのマスコミ崇拝者ばかりだ。
マスコミや出版社が稼いでくれる作家を批判することはタブーになっていて、他の作家も粛々とその支配に従って文筆活動をしている。
そうやって商業的に管理されていることに疑問も不満も起こらない空間なので、
防音に配慮された商業的な個室で、他人の迷惑にならずにカラオケを楽しむ人たちの集まりになっている。
カラオケだから、誰もが自分の順番で歌う曲のことばかり考えている。
他人が歌う曲は葛藤なく拍手ができるレベルであれば問題ない。
もし偉い人が同席したら、人一倍大きな拍手をする。

現実空間の居心地良さ

僕にとっては、ネット空間より現実空間の方が断然居心地がいい。
最近、そういうことを確信するようになった。
その理由は、僕がどうしても「対面的コミュニケーション」を前提としている人間だからだと思う。

僕は顔が見えないネット空間でも、顔を合わせた時と同じようにコミュニケーションができる人としか付き合いたくない。
簡単に言えば、「ネット人格」みたいなものと関わりたくない。
裁判で顔を合わせたら弁護士ともども一言も反論できない幼稚な人間が、SNS上ではやたら偉そうな発言をしていたりするのは醜悪極まりないものだ。
面と向かって何も言えないならば、ネットでも言わないでもらいたい。

自己愛メディアの時代

インターネットの普及は、個人単位のメディア発信を手軽にした。
本来、SNSなどの民主的なソーシャルメディアは、権威的な既存マスメディアとぶつかり合う面がある。
たとえばトランプ大統領は、既存マスメディアとやり合うために、Twitterを意図的に利用した。

そのようなトランプのやり方が良かったか悪かったかは別として、
日本ではソーシャルメディアが、既存マスメディアの十分な対抗軸として発展することはなかった。
テレビなどのマスメディアは、嬉々としてソーシャルメディアでバズった話題を取り上げたり、
テレビに協力的なYouTuberなども好んで出演させたりして、気持ち悪いくらいに両者の「一元化」へと向かっていったからだ。
出版業界でもネットで話題になった作品の商品化に力を入れていたし、
結局はネットで成功した人が、既存メディアでも成功者として扱われることになり、あっけなくネットの優位性が確立してしまったように見える。

責任回避としてのデータ主義

最近の大学では、「データサイエンス」という妖怪が跋扈ばっこしている。
漢字にすれば「情報科学」でしかないわけだが、日本では横文字にすればありがたそうに見られる。
要はビッグデータやアルゴリズムを問題解決に役立てる学問らしい。
プログラミングを学ぶ点や、数字以外のデータも扱う点で統計学とは少し違うようなのだが、
呼び方を新しくしても、「情報処理技術」以上のものとは思えない。

僕は最近、何でも「情報データ」化する社会に疑問を感じている。
一番の問題は、「情報データ」依存が現実の「経験」を軽視し、「責任」の意識を退化させる恐れがあることだ。


映画『オッペンハイマー』とファミリーロマンス

2024年の米アカデミー賞で、『オッペンハイマー』という作品が7冠制覇したらしい。
僕は大方の映画が嫌いなので、本来はどの作品が評価されようが興味はないのだが、
日本のニュースで盛んに取り上げられていたから、情報が耳に入ってきた。

僕はこの映画を見ていないし、見る気もないので、映画の内容については関心がない。
見過ごせなかったのは、それを扱ったニュース番組の「能天気な解釈」だった。

オッペンハイマーとは、アメリカで原子爆弾の開発を主導した科学者の名前だ。
当然ながら、この映画はオッペンハイマーがロスアラモス国立研究所で原子爆弾を開発したことを扱っている。
原爆は第二次世界大戦末期に、死に体だった大日本帝国の広島・長崎に投下されたが、
オッペンハイマーはその破壊力や非人道性を認識して、核軍縮を求めたり、水素爆弾に反対したようだ。
おそらく映画では、原爆を開発した科学者が、のちにそれに苦悩し批判するようになったことを描いているのだろう。
日本のニュースでは、アメリカが﹅﹅﹅﹅﹅原爆の投下について改悛を示したとする有識者の解釈を流していた。

石川丈山「時俗」

この前、石川丈山の「富士山」という漢詩について書いたが、
その後、近世文学研究者の中村幸彦の著述集を読んでいたら、思いがけず「石川丈山の詩論」という論文にぶつかった。
丈山はもともと三河武士で、徳川家康に仕えた人だ。
大坂夏の陣では戦場を駆け巡っていたが、50代になって京都に移住し、
洛北の一乗寺に「詩仙堂」を建てて、隠居生活を30年近く続けたので、中村は「隠詩人」と書いている。
とはいえ、権力者に近侍した人だけに、当時の漢籍を数多く読むことは可能だっただろう。

「詩仙堂」というのは通称で、本当は「凹凸おうとつ」と丈山は名づけたらしいが、
読みにくいからなのか、中村の論には詩仙堂としか書かれていない。
中心部の四方の壁に、丈山が林羅山と共に選んだ中国の詩人36人の肖像画(狩野探幽の画)が飾られていることが、その名の由来だ。
現在も詩仙堂は残っているので、いつか京都を訪ねる機会があれば見てみたい。

晁冲之「春日」

まだ春を感じ始めた時節だが、井波律子『中国名詩集』より春の終わりを詠んだ漢詩を紹介しよう。
ちょうちゅうという北宋の詩人の作品だ。
宋王朝には北宋(960年〜1127年)と南宋(1127年〜1279年)という区切りがある。
北宋は中国全土を支配地域に置いていたが、女真族が華北部に侵攻して金を建国したことで、
宋王朝は南部だけを支配するにとどまることになった。
それを南宋と呼んでいる。
朱子学などの道学は、北部の異民族に絶えず脅かされていた南宋で発展した。

晁冲之の生没年はよくわからないが、北宋末の詩人であり、一族は名門だ。
蘇軾そしょく門下で「蘇門四学士」に数えられた晁補之ちょうほしは従兄にあたる。
しかし、補之が政争に巻き込まれて左遷されたことが影響したのか、冲之は仕官することはなかった。
おそらく隠者であることを選んだのだろう。
以下の「春日」を読むと、王朝末期の衰退社会を深く憂いていたことが読み取れる。

ジェイムソンの等価交換論

現在、アドルノの「文化産業」批判を書くために関連書籍を読んでいるが、
僕の悪い癖で、読んでいるうちに目を通したい本が増えていってしまったりする。
「文化産業」について直接書かれている『啓蒙の弁証法』と『模範像なしに』を、読み終えたところで記事を書こうと思っていたのだが、
なんとなく買ってあったフレドリック・ジェイムソンの『アドルノ』という本を引っ張り出して、読み出してしまった。
これも僕の癖なのだが、こういうときに僕はその本の中で「文化産業」について触れた箇所だけを拾い読みするのが、なんかもったいないと思えてしまう。
最初から最後まで(ざっとでもいいから)読んでいきたいのだ。
ダンジョンの途中でつい面白い魔導書を探して寄り道をするように、
読む途中で思いがけず、面白いことが書いてあるのを見つけたりするからだ。
(仕事や課題を与えられて本を読む人には、こういう楽しみはわからないだろうな)

名誉毀損訴訟への疑問

松本人志氏が週刊文春の記事を名誉毀損として、賠償請求訴訟を起こしたことが話題だが、
自ら公的に説明する機会を作れる地位にある人が、記者会見を開いて反論するでもなく、
「事実無根」を主張して名誉毀損の裁判を起こすという態度は、あまり感心したものではない。

名誉毀損を裁判で争う場合、
たとえ書かれた記事に対して、訴えた側(原告)が「事実無根」だとか「誹謗中傷」「デマ」だと主張しても、
訴えた側は、書かれた内容が真実﹅﹅でない﹅﹅﹅ことを証明する必要は全くない。
むしろ、その内容が真実であることを証明する必要があるのは、訴えられた側(被告)、つまり記事を書いた側になる。
だから、気楽な気持ちで訴訟を起こせるわけだ。
どうして証明の義務があるのは、名誉毀損で訴えられた側だけなのだろうか。
これは本当にフェアなシステムなのだろうか。
訴えた側にあまりに有利な名誉毀損訴訟のあり方には、無益な訴訟を助長する要因になりうるという点で大いに疑問がある。
(まあ、どんな訴訟であっても、弁護士にとってだけは有益ではあるわけだが)

プロフィール

名前:
南井三鷹
活動:
批評家
関心領域:
文学・思想・メディア論
自己紹介:
     批評を書きます。
     SNS代わりのブログです。

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